常識に死ぬか、非常識に生きるか。

どうも。 今日は いいこと、そうでもないこと、 どっちが多く起こりそうですか? よく聞きますよね。 人生のできごとは自分の捉え方次第、 意味付け次第で変わるんだ、って。 ■ぼくはこう思うんです。 別に、 絶対的な 「いいできごと」「悪いできごと」 なんて存在しなくて、 本人の意味付け次第で 「いい」「悪い」が変わるとしたら、 毎日楽しそうに 生きてるように見える人って 「意味付け力」「意味付けレベル」 みたいなものが高い人って ことになるんじゃないかなって。 言い換えると、 それはできごとを よい方にも、わるい方にも 「自在に捉えることのできる力」 って言ってもよくて その力をバランスよく 使いこなせることが よりよい人生を生きられる ことなんじゃないかなって。 そしたら、 お得感タップリな人生にするには その力をなるべく早い段階で 鍛えた方がいいはずで。 んで、 それを鍛えるには いろんな人に会って、 話を聴いて、本を読んで、 いろんな価値観を取り入れて 体験するしかなくて 取り入れた要るものと 要らないものを判別して、 余計なものを削ぎ落していく過程で レベルアップされて、 残ったものが 「意味付け力」 みないな感じかなって。 ■同じように いわゆる「常識」ってものも、 一つのものの見方や意味付け でしかないと思うんですよね。 実は、 両親と祖母が教員の 超「常識家庭」に産まれた ぼくの中には, 人一倍強い常識 ってものがあるんですね。 「世間様に恥ずかしくない」 「ルール通りに」 みたいな無言の圧迫感を いつも感じてました。 自分の感情を押し殺しているうちに 何が本当に感じていることだか わからなくなっちゃったこともあって。 今でも潜在意識で それがブレーキをかけてるな ってことに気づき始めたんです。 「自分常識」 みたいなフィールドがあるなら、 成長ってその外に出ることでしか 得られないことだと思うし 一度、 その凝り固まったフィールドを カオスにしてしまって 新しく再構築してみようかなって 思ってるんですね。 常識と非常識のハイブリッド みたいな。 もちろん、 今までいた場所は居心地がいいから、 抜け出すのは大変で 迷いも、不安も、恐れもあるけれど、 挑戦してみようと思ってます。 一旦、 ブレーキを解放してみようかな、と。 本来の自分て、なんだっけ?と。 ■ということで 明日、 「常識」の枠に捉われない 生き方をする二人の男に会いに、 またまた上京します。 一人は、 MacBook1台と キャリーバック1つで 野良犬のように世界を旅する男。 もう一人は、 道無き道をひた走る 既得権益への反骨心の 塊のような男。 「こいつら、 どうやって生計立ててんだ?」 みたいな奴ら。 盗んでくるべきものはたった一つ。 彼らの脳みそです。 こんな複雑な世の中です。 ぼくらは、 バランスのとれた価値観で 生きていかんといけません。 自分のことを、 より好きになれる生き方を 構築できるようになるためにも 一度、 「非常識ワールド」に 針を振り切ってこようと思います。 人は人によって磨かれます。 正反対の脳みそを持つ人間に会うって 楽しいですね! 最新情報つぶやいてます。 この記事が気に入ってくれたら、フォローお願いします。 →Twitter: https://twitter.com/JunjiSaito
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